THE Wのゆりやんレトリィバァのネタに痺れました。
お笑いでも音楽でも、表現においてネガティヴな感情というのはパワーに変わり得るものですが、その好例をゆりやんレトリィバァのネタに見ました。
THE Wとは
今回取り上げるネタは「女芸人No.1決定戦 THE W(ザ・ダブリュー)」 の決勝戦にて披露されたゆりやんレトリィバァのネタです。
漫才の日本一を決める「M-1グランプリ」や、コントの日本一を決める「キングオブコント」など、それぞれの縛りでお笑いの大会は開催されていますが、この大会は「女芸人」というくくりで日本一を決めます。
大会自体に不安視も
今回が第1回の開催のため、どんな大会になるのか、期待とともに不安も囁かれていました。
というのも、審査基準が
「とにかくおもしろい芸(漫才、コント、ピンネタ、モノマネ、パフォーマンス等なんでもあり)」
と間口がかなり広いために、大会としてのクオリティや格式が保証できないのではないかという不安があったのです。
また、平野ノラやブルゾンちえみなどの旬の芸人が参加しないなど、参加者数が少ないことも不安視されていました。
アマチュアも決勝に進出
実際に、鳥取市役所勤務のアマチュア芸人や、歌ネタをやるピアニストなど、お笑いの大会としては「イロモノ」とも言える出場者が決勝に進出しました。
このあたりは賛否両論あると思いますが、個人的にはどちらも面白く、「アクの強い」大会だとは思いましたが、そのヒヤヒヤ感も含め全編楽しんで観れました。
優勝はゆりやんレトリィバァ
そんな個性が四方八方にぶっ飛んだ大会を制したのは、ゆりやんレトリィバァ。
しっかりとお笑い芸人としてネタを披露して、実力で優勝をもぎ取りました。
ネットでは色々と囁かれてますが、個人的には文句なしの優勝だと思います。
とにかくあの瞬間一番面白かったのはゆりやんレトリィバァだと感じました。
その上で、ネタについて感じたことがあったのでこの記事を書くことにしました。
ネガティヴな本音をお笑いに昇華したゆりやんレトリィバァ
ゆりやんレトリィバァはネタの中に「愚痴」と言ってもいいような、自分が最近感じている「ネガティヴな本音」を吐露していました。
「他人の愚痴」を聞くのは本来楽しいものではないですが、このネタで聞く「他人(ゆりやんレトリィバァ)の愚痴」は本音であればあるほど、ネガティヴであればあるほど面白くなっていました。
ゆりやんレトリィバァがやるからこそ面白くなるドラえもんの設定
THE Wの決勝2本目でゆりやんレトリィバァが披露したのは、ドラえもんになりきる一人コント。
見覚えのある勉強机と畳の部屋のセット。
聞き覚えのある音楽とともに襖が開き、全身が青と白の衣装で包まれたゆりやんレトリィバァが登場すると、一目でドラえもんのパロディだとわかります。
さらに声質と喋り方をモノマネもします。
基本的なコントの構造としては「ドラえもんが言わなそうなことを言う」というもの。
ネタの構造自体が革新的なわけではないですが、自身の体型を活かし、喋り方もかなり特徴を掴んでいるので、その時点で既に笑える要素があります(少なくとも僕は面白かったです)。
誰がやっても面白いわけではなく、体型やモノマネのクオリティなど、ゆりやんレトリィバァがやるからこそ面白くなる設定は見事だと思いました。
あるあるの中にゆりやんレトリィバァ自身のネガティヴな本音を吐露する
そういった「見た目」「モノマネ」といった外側の部分も面白いのですが、ネタのメインのボケは「ドラえもんが言わなそうことを言う」というもの。
その最初のボケが
「何年も連絡を取っていない中学の同級生から結婚式で流すおめでとうのビデオメッセージを頼まれてる。面倒くさい」
という芸人あるある的なボケ。
「絶対にドラえもんが言わなそう」なセリフであるとともに、「それ自分(ゆりやんレトリィバァ)が思ってることじゃね?」という風に観るものに感じさせるセリフをチョイスしたことで面白さが増幅しています。
その次に披露されたボケは
「テレビで頑張ってボケてるのに、SNSを見ると”コイツの何が面白いのかわからない”とか書かれてる」
というもの。
これも同じように、「ドラえもんが言わなそう」で、「ゆりやんレトリィバァ本人の本音(と観るものに感じさせる)」のチョイスのセリフです。
ドラえもんの格好でモノマネをしながら、「ゆりやんレトリィバァ本人のネガティヴな本音を言う」ということが面白さを担っていると感じました。
「芸人あるある」としては弱い
「同級生の結婚おめでとうメッセージ面倒くさい」と「頑張ってもSNSで叩かれる」のどちらも、言ってしまえば凡庸な「芸人あるある」。
そのあるある自体は、割と擦られてますし、新しくもありません。
ただこのドラえもんの一人コントの設定の中に入れることで「凡庸な芸人あるある」でも笑えるようになるのです。
本音であればあるほど面白い構造
この「ドラえもんの言わなそうなこと」という構造のネタの中で披露される「芸人あるある」は、本音であればあるほど面白くなります。
厳密に言うと「本音に聞こえれば聞こえるほど」面白くなる、が正しいかもしれません。
「本当のところ、本音かそうでないか」の真偽はどちらでもよく、ネタの中でゆりやんレトリィバァがそのセリフを言っている瞬間に「本音っぽく聞こえている」かどうかが重要だということです。
僕はこのネタを観ていてそのセリフが本音っぽく聞こえたのでめちゃくちゃ笑えました。
ネタ全体の面白さを担保する構造以外の要素
ドラえもんに扮したゆりやんレトリィバァが「ゆりやんレトリィバァ本人のネガティヴな本音(に聞こえること)」を吐露するという構造が面白いことは上記しましたが、構造以外にも面白い要素があることも重要です。
特筆すべきは声質や喋り方でのモノマネの部分。
肝心のボケのセリフの言い回しはもちろん、それ以外の説明のセリフですら、喋り方が絶妙に似ていて笑いを生んでいました。
本音を作品に昇華するかっこよさ
表現者であれば作品に本音がついつい出てしまうというのは割とあることです。
そこで工夫をせずに「愚痴」や「ネガティヴな本音」を作品に盛り込んでは、作品が暗くなったり、クオリティが下がったりしてしまいます。
そんな中、ゆりやんレトリィバァが披露した一人コントは「ネガティヴな本音であればあるほど面白い」という構造、体型を活かした見た目の面白さ、声質や喋り方のモノマネ、といったいくつもの要素で「ネガティヴな本音」を見事に作品に昇華しました。
僕は音楽を作っていますが、同じ「作品を作って発表する者」として、かっこよさすら感じました。
音楽の作り方にも応用できる
「ネガティヴな本音(愚痴や不満)を作品に昇華させる」という方法は音楽、特に作詞にも応用できます。
音楽を作っている人なら割とよく聞く話でもあり、当たり前に行われていたりします。
星野源もネガティヴな本音を作品に昇華してきた
わかりやすい例でいうと、星野源もその方法論で作品を作っていたことがあります。
ミュージシャンとしてはSAKEROCKというインストバンドでデビューし、ギターやマリンバを担当。
その後弾き語りの延長のような形の音楽でソロでもデビューし、現在はギターも弾かないで歌を歌っていることも多いです。
そんな星野源は学生時代から弾き語りの曲を作っていて、当時はネガティヴな曲(歌詞)が多かったそうです。
やがて歳を取ってミュージシャンとしての実力や経験を積むうちに、ネガティヴな本音を、少し表現の角度を変えて歌詞に載せることができるようになり、それから曲を聴く周りの人たちの反応が変わっていったのだとか。
客観的に観た(聴いた)時の良さを担保するものは必要
伝えたいメッセージは同じでも、歌詞として言葉にするときに、その表現方法を少し変えるだけで、聴く人にとって心地いいものになったという好例が星野源です。
しかしもちろんそれ以外の要素も必要です。
星野源で言えば、「聴き心地が良くてグッとくるコード進行」「優しいメロディ」「暖かい歌声」。
それらが音楽的な気持ち良さを担保していることも作品全体のクオリティに関わっています。
それはゆりやんレトリィバァの「体型にあったドラえもんの格好」「声質や喋り方のモノマネ」といった、全体を構成する要素が面白さを担保することに共通していることもわかると思います。
YouTubeでも話しています
僕は音楽をやっていますがお笑いも好きで、よくテレビやラジオやライブでお笑いを観たり聞いたりしています。
そうやって深みにハマればハマるほど、お笑いと音楽に共通点を感じることがとても多いです。
最近始めたYouTubeの番組では、そんな音楽以外の分野から音楽のことを考えるということをやっています。
今回のゆりやんレトリィバァの件もYouTubeで話しているのでよかったら観てみてください。
YouTubeの動画ですが、内容的にはほとんどラジオなので、耳で聴くだけでも伝わると思います。