M-1グランプリ2008で準優勝を果たし、その翌日から今にいたるまで、群雄割拠の日本お笑い界で活躍し続けるオードリー。
準優勝を果たした翌年以降のM-1グランプリにはエントリーしていません。
テレビにはたくさん出ていましたが、M-1グランプリの結果はあくまで"準優勝"。
出場資格である「結成10年以内」という規定から、まだ出場できたはずのオードリーはなぜ出場を辞退したのか。
その理由が若林本人の口から語られました。
オードリーは自分たちのネタを"退化"させたくなかったから出場を辞退した
準優勝の翌年以降のM-1グランプリにオードリーが出場を辞退した理由を端的に言えば、「自分たちのネタを退化させたくなかったから」だそうです。
その真意を説明します。
オードリーのネタは「形を見せるネタ」
オードリーの漫才は「ズレ漫才」と呼ばれる独特のスタイル。
ナイツの「言い間違い」のネタや、ブラックマヨネーズの「吉田が相談して小杉が解決策を提案するが、吉田がネガティブな難癖をつける」ネタなど、M-1グランプリで活躍する漫才師はそれぞれ独自の漫才の形を発明して面白さを生み出したりしますが、オードリーも「ズレ漫才」という独自の漫才の形を発明しています。
所属事務所のケイダッシュステージは常設劇場がないので、オードリーはネタを人前で披露できる回数も多くなく、漫才の腕やテンポ、間(ま)では他のコンビに勝てないと若林は自覚していたそうです*1。
そのためオードリーが周りのコンビに勝つために必要だったのは「革新的な形」のネタを発明することであり、その漫才の形が「新しい」「新しくて面白い」と評価されることが、他のコンビに勝つための手段でした。
2008年のM-1グランプリで形は見せてしまった
2008年のM-1グランプリでそのとっておきの形を披露したオードリー。
もし翌年のM-1グランプリに出場して「ズレ漫才」という同じ形のネタを披露すれば、その漫才の中身(台本)を変えたとしても「結局(形が)同じじゃん」と評価され、負けてしまう。
そうならないためには漫才の形をマイナーチェンジして、「形が変わったな」「形が変わって(その変化が)面白いね」と思わせる必要がでてくるのです。
変化は"退化"だ
「ズレ漫才」とはこういう漫才の形だ、という前提が既に知られている状態で、その形を変化させるには「スカし」を入れる必要が出てきます。
「ズレ漫才だとこう次はこうなるよね」と思わせておいて、あえてそれをやらないという笑い。
そういったマイナーチェンジを施せば、「去年とは変わったね」「これはズレ漫才の進化形だ」と周りは評価するだろうと若林は語っています*2。
しかしそれは「アリモノを外す」ことであり、それをズレ漫才の"退化"だと思った若林は、漫才を退化させてM-1グランプリに出場するよりも大会自体に出場しないことを選んだと語っています。
周りからは批判もあった
毎年予選で負け続けたM-1グランプリの決勝に初めて進出して、結果は準優勝。
それをきっかけにテレビでも大活躍し、翌年のM-1グランプリの出場は辞退。
同業者や芸人からすると、捉え方によっては「負けるのがこわいから逃げた」と思われても仕方ありません。
実際に周りからは「今年は出ないんだね」「根性ねえな」という声をたくさん浴びせられたそうです。
それでも若林は「退化させたネタで周りから評価されたとしても、それは決して進化じゃない」と思い、出場しませんでした。
オードリーと似た境遇に直面したカミナリの葛藤
この若林の超マジな漫才論を引き出したのはカミナリのツッコミ・石田たくみ。
2017年12月25日に放送された「オドぜひ歳末SP オードリーさん、ぜひ会いたいと言っている芸能人がいるんです!」という番組内でオードリーに悩み相談をした際にこの話を引き出しました。
カミナリもオードリーと似た境遇だった
2016年のM-1グランプリで当時無名だったカミナリは「どつき漫才」を披露し、優勝こそできなかったものの強烈なインパクトを残し、2017年はテレビにたくさん出演しました。
「どつき漫才」は、オードリーの「ズレ漫才」のようにカミナリが発明した独自の漫才の形。
2016年にこの漫才の形は一度見せてしまったため、2017年のM-1グランプリに出場するかどうかは悩んだそうです。
カミナリのブレーン・石田たくみは、「良いネタができた場合はエントリーしよう」と当初は思っていたそうですが、「一度決勝に進出しただけで辞退すると舐められるんじゃないか」という恐れから、結局は新ネタを作っていない時点でエントリーをしてしまったそうです。
漫才を"退化"させたくない
カミナリのたくみも若林と同じく、漫才を退化させることはしたくないと思っていました。
「どつき漫才」の形が知られている上で、あえて「ボケのまなぶがどつきを避ける」「まなぶがどつき返す」などのわかりやすい"形の変化"を見せれば評価はされやすいかもしれませんが、それはしたくない。
「どつき漫才」の形は変えずに、「台本(中身)だけを進化させて勝つ」といういばらの道をたくみは選びました。
見事決勝進出!しかし...
「どつき漫才」の形を変えることなく勝負するといういばらの道をくぐり抜け、カミナリは2017年のM-1グランプリで見事決勝に進出します(凄すぎます)。
たくみ曰く「これ以上いい台本は作れない」と燃え尽きるくらいのネタを決勝で披露し、結果は9位。
この結果を受け「もうどうしたらいいんだ」「来年は出場しなくてもいいんじゃないか」と思ったそうです。
漫才の形を退化させないという制約(プライドであり美学)の中で作れる最高のネタをもってしても優勝はできなかった。
完全燃焼した彼らには、M-1グランプリの優勝を目指すモチベーションはもう残っていませんでした。
楽しんで漫才をしたい
賞レースで勝つためには賞レース用のネタを作る必要があります。
それは時に、自分たちが本当にやりたいネタとは少し変わってきたりすることもあります*3。
M-1グランプリの決勝に2年連続で進出し、まだ若い(出場資格が何年も残っている)カミナリには、「次は優勝期待してるよ」と応援してくれる人もいるそうです。
しかし彼らは賞レースで勝つのためのネタではなく「二人がやってて楽しいネタ」「二人が楽しむためのネタ」をやりたいという気持ちもあるそうです。
芸人になった理由は「TVスターになりたかったから」
カミナリが芸人になったそもそもの理由は「TVスターになりたかったから」。
M-1グランプリに挑戦していた時は「絶対優勝するぞ!」と思って臨んではいたものの、カミナリが芸人になったきっかけまでさかのぼると、そこにあったのは「TVスターになりたい」という気持ちでした。
カミナリはTVスターになるための手段としてコントや漫才を作ってきたのです。
M-1グランプリをきっかけにテレビ出演の機会も増え、今まさにTVスターに近づきつつある彼らにとって、M-1グランプリに出場しないことは逃げというよりもむしろ挑戦なのかもしれません。
若林からのアドバイス
若林の意見は「出場しなくていいと思う」というもの。
これからもう一度奮起してM-1グランプリの優勝を勝ち取るためには、新ネタを作るのはもちろん、たくさん舞台に立ってそのネタをブラッシュアップする必要があります。
しかしあくまでカミナリの芸人としての目標は「TVスターになること」。
舞台とかぶってるからテレビの仕事を断らなきゃならない、なんてことにはなりたくない。
それらを踏まえた上で若林は「(この意見を聞いて決断しちゃうと)責任重大になっちゃうけど、俺は出なくてもいいと思う」と意見を述べていました。
その上でさらに、「M-1グランプリに勝つネタを作るのと同じくらいの熱量で、テレビの仕事を増やすための"テレビのシミュレーション"をしたらいいんじゃないか」と助言をしていました*4。
すべての芸人に幸あれ
芸人にとって賞レースとは人生を変える転機になり得るもの。
それと同時にプライドをかけて闘う場所でもあります。
普段のバラエティ番組ではなかなか見れない「芸人同士のガチのお笑い論」が聞けたのはとても貴重でした。
実は、数年前までの若ちゃんはオードリーのオールナイトニッポンでこういった熱い話を頻繁にしていました。
しかし近年はラジオでもガチのお笑い論を語ることはほとんどありません。
カミナリの二人には、若ちゃんのガチお笑い論語りの面を引き出してくれたことに感謝するとともに、今後の活躍を期待しています。
*1:と言いつつもオードリーは当時ショーパブに頻繁に出演していました。以前ラジオではドーピングをしていたとも語っています。この記事の中盤にそのことを書いています→【ハライチ岩井勇気の漫才を作る才能が凄すぎる - 裸眼日記】
*2:この話だけを聞くとまるで仮定の話(2009年のM-1にマイナーチェンジしたネタで出場したら)に聞こえますが、これは実体験に基づく予想です。というのもオードリーはそれ以降に作るネタでズレ漫才をマイナーチェンジさせたことがあり、その時に「進化した」と言われたとラジオで語っています。具体的に言うと毎年出演している「検索ちゃんネタ祭り」に出演した際に、オードリーがネタを披露する際のネタ振りで「進化したズレ漫才。オードリー!」と紹介されたという話です。この話は長くなるのでこの辺で省略...。
*3:"ネタ作り人”とも呼ばれるNON STYLEの石田は「営業用」「賞レース用」「自分たちが楽しむ用」とネタを書き分けているという話を聞いたことがあります。
*4:ここに情報だけを抜粋して文字だけで書くと若林が偉そうに言っているように捉えられないか少し心配ですが、番組での二組のやりとりを見た限りでは、親身になってアドバイスするめちゃくちゃいい先輩だと思えました。