『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async』観てきました。
ネタバレという概念もない映画ですが、かなり内容に触れた感想です。
しかし、この文章を読んだところで(もしかしたら映画を観たとしても)、この作品の本質を理解することは簡単ではありません。
事実として表面的に、この映画がどういう映画かということを簡潔にご紹介します。
音楽という表現を追求し続けてきた坂本龍一のライブを映像化した『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async』
坂本龍一の最新アルバムのリリース記念ライブを映像化
この映画は、坂本龍一が2017年春に8年ぶりのオリジナルアルバムとしてリリースした『async』のリリース記念ライブの模様を収めた映像作品です。
ニューヨークのパーク・アベニュー・アーモリーで2日間にわたって行われたこのライブは、1公演につき観客は100人のみ。
計200人しか目撃していないこの幻のライブを、坂本龍一のドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』も手がけたスティーブン・ノムラ・シブル監督が映像化しました。
async(asynchronization)=非同期な音楽を表現
YMOでのテクノミュージックや、『戦場のメリークリスマス』『レヴェナント: 蘇えりし者』といった映画音楽で表現してきた「同期」する音楽とは真逆の「非同期」の音楽を表現したアルバムが『async』です。
日本の音楽チャートの上位にランクインするようなポピュラーミュージックとは一味もふた味も違うその音楽性は、一聴して理解しやすい音楽とは言えないかもしれません。
しかし、長年音楽家として生きてきた人間が、音楽とはなにか、表現とはなにかという思索を続けていく道のりの終わり、または途中に見つける境地のようなものを感じました。
非同期な音楽とは
「非同期」が具体的にどういう意味なのかについて、僕なりの解釈で説明を加えます。
それは映画音楽のように場面に合わせて作られたものではないことはもちろん、アンサンブルの中で鳴る複数の楽器のタイミングが同期していないというのが主な意味合いだと思っています。
わかりやすい部分だとこういった意味合いですが、それだけではないようにも感じています。
昨年公開された坂本龍一のドキュメンタリー映画で、震災のあった福島の学校に行き、震災の被害を受けながらも全壊せずに形を留めたピアノを弾くシーンがありました。
坂本龍一は、チューニングの合っていないそのピアノの音に特別ななにかを感じていました。
本来自然にあるだけの木を無理やりピアノの形にして、「人間が合っていると感じる音階」が鳴るように作り上げられているのがピアノ。
一般的に、弦1本に70〜90kg、全ての弦を合計すると1台のピアノには20t近くの張力がかかっていると言われています。
チューニングの合っていないピアノは、「音が合っていない、チューニングがズレている」のではなく、「自然の形に戻ろうとしている」だけだと坂本龍一は語っていました。
そしてその時に録音した福島のピアノの音は『async』に収録された「ZURE」という曲の中で非同期な音として鳴っています。
類を見ない独特なスタイルのライブ形態
ステージには坂本龍一ただひとり
約1時間のこの映画は、ほぼライブの映像を映すのみ。
映像の中で全12曲演奏されたライブのステージに立っているのは坂本龍一ただひとりです。
もちろん一人で同時に複数の楽器を演奏するのは無理なので、基本は楽曲の音源を流し、それに合わせる形で坂本龍一がピアノやシンセを演奏したり、あらゆる楽器(のような、音の出るもの)でノイズを出したりします。
印象的な楽器(のようなもの)たち
「音楽のために使われる音を出す器具」が楽器の定義であるならば楽器と呼べるもの、しかしパッと見はナニコレ?と思われるようなもので、坂本龍一は楽曲ごとにマッチしたノイズ音を発します。
印象的だったのは透明な板(おそらくガラス)を使った演奏。
細い棒の先端に黒い球状の物体がついたもの(マレットの一種?)を透明な板に押し当て、こすらせることで摩擦音を出していました。
意外にもこの摩擦音、絶妙な音量の調節やニュアンスを表現することができる楽器で、楽曲にマッチして気持ちよく、視覚的にも面白いです。
言葉で説明するのがとても難しいので他は割愛しますが、こういった視覚的・聴覚的に面白い楽器(のようなもの)をいくつも使い分けていました。
天井のモニターに映し出される抽象的な映像
ステージの真上、天井部分には、地面に向かってモニターが設置されていました。
モニターには「暗闇の中の吹雪のような、ノイズのような映像」「炭酸の泡のような、沸騰した湯の泡のような映像」「楽曲の中で不規則に鳴らされている音とリンクしているような(していなくもあるような)波紋の映像」といった抽象的な映像が流れていました。
座ってライブを観ている観客たちにはモニターを見上げる人もいれば、坂本龍一の演奏をじっと観ている人もいて、ライブでのこの視覚的なアプローチが音楽の世界観と相まって、ライブの面白みを高めていました。
【感想】設置音楽展、制作に密着したドキュメンタリー映画を経て、ある日急に『async』が理解できた
2017年5月に東京に遊びに行った際に、ワタリウム美術館で開催中だということを知って観に行った「坂本龍一 | 設置音楽展」では『async』の制作の裏側や、『async』とコラボしたアート展示を観てきました。
そして2017年11月には、癌の発見前から『async』の制作時期までをも含めた坂本龍一の5年間に密着したドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』を観ました。
それでもどうして、『async』の音楽がどうにも理解できていない自分がいました。
『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async』は約1時間の映像作品ながら、料金は特別料金で全国一律2500円。決して安くはないです。
観たいけど、どうしようかな、と考えていたら札幌での上映終了まであと1週間となり、改めて『async』に挑戦。
いざ久しぶりに聴いてみると、スッと音楽が入ってきて、素直に良い音楽だと感動し、共感、興奮、そして悲しくなったり怖くなったり、切なくなったりと、たっぷり『async』を楽しめるようになっていました。
そこからヘヴィーリピートで聴き続け、札幌での上映最終日の2月9日に観てきました。
アルバムを聴いてストンと落ちてこない人には、もしかしたらその理解の手助けにもなるかもしれない映像作品。
でももしかしたら、観ても全然わからないかも…。というような気もしています。
札幌での上映は終了してしまいましたが、地域によってはまだ上映している映画館もあります。
『async』に感動した人には絶対的にオススメしますし、そうでない人も、広く感受性を解放して観てみると何か新しいドアが開くかもしれません。