チャットモンチーが「完結」を発表しました。
わかりやすい言葉で言うなら、バンドの「解散」。
彼女らにとって、「解散」という言葉とは意味合いや付き纏うイメージが違うと感じたのか、適した言葉を探した時に「完結」という表現を選んだのかなと思います。
今年8月のライブが今までと違っていた
今年の8月に久しぶりにチャットモンチーのライブを観ました。
久しぶりに観たからというのもあるかもしれませんが、この日のチャットモンチーは今までと違いました。
リンク先の記事にも書いたように、チャットモンチーは今まで何度も変わり続けてきたので、ライブを観て変わっていないなんてことはないんですが、それでも強くその変化を感じるほど、自由でしなやかになっていました。
2017年3月〜7月の全国ツアー中にバンドの完結が決定したそうです。
それが本当なら、この日は彼女らの中では完結を見据えた上のライブでした。
もちろん観客は今日になって初めてそのことを知ります。
チャットモンチーで音楽を鳴らすことを楽しんでいる
橋本のMCの質が変わった
「MCで何を話したっていい」という自信と、ある種の開き直りのようなものすら感じました。
この日のチャットモンチーのライブを観て僕が感じたバンドの姿勢や変化は、完結が決まっていたからこそだったのかもしれません。
バンドは解散が決まってライブが良くなることがある
バンドは解散が決まった途端、ライブが良くなることがあります。
「ライブが良くなる」というのは、演奏にグルーヴが生まれたりMCが変わったりバンド内の空気が良くなったり、一つの要素ではない複合的な、その場にしか生まれない何かが良い方向に変化しているというのを、お客さんやバンド自身が感じるというような現象です。
今まで必死に走ってきたバンドや、その上で良い形での解散が決まっているバンドにしか起こり得ない現象。
肩の荷が下りたのか、肩の力が抜けたのか、ナチュラルに良いライブができるようになったりします。
今年8月に観たチャットモンチーのライブから感じた変化も、そういった現象だったのかもしれません。
完結の理由はポジティブなもの。だけど…
完結の理由については、チャットモンチーの二人からのコメントに書いてあります。
チャットモンチーという名前を脱いだ方が新しいところへいけるのではないかと思い始めました。
これから先、長くなるであろう音楽人生を思うと、チャットモンチーというバンドにとどまらなくても、私たちには新しくてワクワクするような音楽が待っているような気がしているのです。
すごくポジティブな理由。
チャットモンチーのためではなく、橋本絵莉子と福岡晃子の二人のための完結。
野狐禅は野狐禅のために解散しました*1が、チャットモンチーは二人の音楽人生のために活動を完結させるということです。
理由としては野狐禅の逆、Galileo Galileiと割と近いと言えるかもしれません(Galileo Galileiで獲得した音楽性と、その表現が許されないジレンマ。新天地warbearで尾崎雄貴が表現する音楽とは - 裸眼日記)。
"橋本絵莉子と福岡晃子のファン"としては、二人を応援していきたい。
しかし12年前の11月23日に発売されたデビューミニアルバム『chatmonchy has come』 から聴いてきた"チャットモンチーのファン"としては、ショックと寂しい気持ちが大きいというのが正直なところではあります。
2018年元日に発表アリ
2018年7月をもってチャットモンチーは完結します。
それにあたり"元日にいろいろ発表"があるそうです。
昨日11月23日に「LAST ALBUM RELEASE IN 2018」と書かれた画像が公開されたことから、2018年にラストアルバムが発売することは確実でしょう。
その他にいったいどんな発表があるのか、元日を待ちましょう。
*1:語弊を恐れずに要約するならば、野狐禅を組んだ理由は「今はだらだらと惰性で生きている。こんなんじゃ死んでるのと同然だから、それなら情熱を持って精一杯生きよう」というもの。それがコンセプトでそういった歌を歌ってきたので、いざ売れて幸せになってしまった時、過去の野狐禅の歌を今歌うことは嘘になるし、これから書く歌も野狐禅のコンセプトとは外れてしまう。野狐禅を野狐禅のままいさせるためには、活動の終了。解散しかない。というものでした。